世界で6番目に大きな面積をもつ国、オーストラリアのほぼ中央にあり、一般に「エアーズロック」と呼ばれている、ウルル。ウルルはノーザンテリトリー、ウルル=カタ・ジュタ国立公園(87、94拡大 ユネスコ 複合遺産)の園内に存在します。世界の中心という意味合いで、「大地のヘソ」「地球のヘソ」と呼ばれることもあります。
ウルルというのは、オーストラリアの原住民「アボリジニ」による呼称です。アボリジニは、今から一万年以上前からウルルの周辺に住んでおり、ウルルはアボリジニにとって聖地なのです。
私たち日本人の感覚からすると、どう見ても? 山のように見える、オーストラリアのエアーズロック(ウルル)。実は、このウルル、隆起した山ではないのです。侵食によって形成された一枚岩なのです。比高335m(標高868m)、周囲は9,4kmに及び、西オーストラリアにあるマウント・オーガスタスについで、世界で2番目に大きな岩石です。
現在ウルルには、杭が打たれ鎖が張られて登山路が設置されています。そのため頂上まで上ることは可能なのですが、先ほども申し上げたように、ここはアボリジニの方々にとって「聖地」なのです。ですから彼らは、観光客が彼らの聖地であるウルルに上ることを決して好ましく思っていません。そのため、アボリジニの儀式が行われるときにはウルルへの登頂は禁止されます。また、ウルルには、彼らの遺した壁画があります。最も古いものは、1千年ほど前のものと推測され、それらの壁画には、精霊などが描かれています。
ウルルを形成する砂岩が鉄分を含んでいるため、その鉄分が参加してウルルは赤いのですが、陽の移り変わりでさまざまな色に変化するウルル。朝陽と夕陽に真っ赤に染まったウルル、それは見事な美しさです。世界遺産に登録されたことでいっそう脚光を浴びることとなったウルル。しかし、私たちが山登りをする感覚でこの大きな聖地に足を踏み入れることは、決して許されることではないのです。
オーストラリアの世界遺産
エジプトの世界遺産
エジプトの世界遺産
ユネスコの世界遺産活動の発端となった、アブ・シンベル神殿をはじめとする、「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア人の建造物」の他、エジプトには7つの世界遺産が(自然遺産1件、文化遺産6件)が登録されています。
自然遺産
●ワディ・アル=ヒタン(鯨の谷) ガバル・ゴハンアムの麓に広がる谷。ガバル・ゴハンナムとはアラビア語で「地獄の山」を意味します。
文化遺産
●「アブ・シンベルからフェラエまでのヌビア遺跡群」アスワン・ハイダムの建設によって水没の危機にさらされた、アブ・シンベル大神殿・小神殿、フィラエ神殿、カラブシャ神殿などのヌビア地方の遺跡群を指します。ユネスコの世界遺産登録の先駆けとなった、救済キャンペーンによって、神殿14、聖堂3、墳墓1が水没を免れ、現在に至っています。
●「メンフィスとその墓石遺跡=ギザからダハシュールまでのピラミッド群」エジプトといえば、真っ先に思い浮かべるのがピラミッド。世界遺産では、ギザのピラミッド、サッカラの階段ピラミッド、ダハシュールの屈折ピラミッド、メンフィスの遺跡などの建造物が文化遺産に登録されています。
●「イスラム都市カイロ」エジプトの首都、カイロのイスラム地区やオールドカイロにある7世紀から20世紀に建てられた建造物を指します。喧騒に溢れるなか、街にはイスラムの礼拝、アザーンが1日5回流れます。
●「アブ・ミナ」 2001年に危機遺産リストに登録されました。エジプト独自のキリスト教の一派、コプト教の遺跡群。「コプト」とは、ギリシア人が古代エジプト語でエジプトを表す言葉を訛ってつけた「アイギュプトス」から来る。彼らは、我こそ古代エジプト人の子孫である、という誇りをもっています。
●「古代都市テーベとその墓石遺跡」カイロからナイル川にそってアスワンへ向かう途中にあるのが、ルクソール。 3500年前、ルクソールはテーベと呼ばれ、古代エジプトの都でした。ルクソールの東岸には神殿が、西岸には王家の墓などの遺跡群が広がります。
●シナイ山の聖カトリーヌ修道院モーゼが十戒を授かったといわれるのが、シナイ山。シナイ半島南部にある世界最古の修道院のひとつです。神秘的なご来光を臨もうと夜明け前から登山する人も多いです。聖カトリーヌ修道はシナイ山の麓にあります。
エジプトの世界遺産
ユネスコの世界遺産活動の発端となった、アブ・シンベル神殿をはじめとする、「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア人の建造物」の他、エジプトには7つの世界遺産が(自然遺産1件、文化遺産6件)が登録されています。
自然遺産
●ワディ・アル=ヒタン(鯨の谷) ガバル・ゴハンアムの麓に広がる谷。ガバル・ゴハンナムとはアラビア語で「地獄の山」を意味します。
文化遺産
●「アブ・シンベルからフェラエまでのヌビア遺跡群」アスワン・ハイダムの建設によって水没の危機にさらされた、アブ・シンベル大神殿・小神殿、フィラエ神殿、カラブシャ神殿などのヌビア地方の遺跡群を指します。ユネスコの世界遺産登録の先駆けとなった、救済キャンペーンによって、神殿14、聖堂3、墳墓1が水没を免れ、現在に至っています。
●「メンフィスとその墓石遺跡=ギザからダハシュールまでのピラミッド群」エジプトといえば、真っ先に思い浮かべるのがピラミッド。世界遺産では、ギザのピラミッド、サッカラの階段ピラミッド、ダハシュールの屈折ピラミッド、メンフィスの遺跡などの建造物が文化遺産に登録されています。
●「イスラム都市カイロ」エジプトの首都、カイロのイスラム地区やオールドカイロにある7世紀から20世紀に建てられた建造物を指します。喧騒に溢れるなか、街にはイスラムの礼拝、アザーンが1日5回流れます。
●「アブ・ミナ」 2001年に危機遺産リストに登録されました。エジプト独自のキリスト教の一派、コプト教の遺跡群。「コプト」とは、ギリシア人が古代エジプト語でエジプトを表す言葉を訛ってつけた「アイギュプトス」から来る。彼らは、我こそ古代エジプト人の子孫である、という誇りをもっています。
●「古代都市テーベとその墓石遺跡」カイロからナイル川にそってアスワンへ向かう途中にあるのが、ルクソール。 3500年前、ルクソールはテーベと呼ばれ、古代エジプトの都でした。ルクソールの東岸には神殿が、西岸には王家の墓などの遺跡群が広がります。
●シナイ山の聖カトリーヌ修道院モーゼが十戒を授かったといわれるのが、シナイ山。シナイ半島南部にある世界最古の修道院のひとつです。神秘的なご来光を臨もうと夜明け前から登山する人も多いです。聖カトリーヌ修道はシナイ山の麓にあります。
エジプトの世界遺産
ギリシャの世界遺産
アテネから北西へ約170km行くと、古代ギリシャ宗教の中心部として栄えたデルフィがあります。ここを訪れると、今でも、その神々しい聖域としての雰囲気をしみじみと感じます。古代ギリシャにあこがれてギリシャを訪れた人は、是非、このオリーブ畑の広がる聖地に足を踏み入れてみてはどうでしょう。
デルフィは古代ギリシャの都市国家、ポリスでした。古代ギリシャにおいてデルポイは世界のへそ(中心)と信じられ、ギリシャ最古の神託所であるポイボス・アポロンの神殿の神託で有名でした。このデルポイの信託はギリシャ神話にも登場しており、人々の運命を左右する役割を担っているのです。デルポイの巫女によって告げられる託宣は、謎めいた詩の形で伝えられ、これが神意として古代ギリシャの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも大きく影響を与えたといわれています。
現在ここはデルフィの遺跡として、1987年 ユネスコの世界遺産「文化遺産」に登録されています。 デルフィの遺跡は、アポロン神殿を中心とする神域と、都市遺跡からなります。パルナッソス連山の懐に抱かれ、遠くにはコリンティアス湾を望むこの地では、かつてアポロンの神託、神のお告げが行われました。全盛期は紀元前6世紀頃で、デルフィの神託は、ギリシャ神話にも登場します。また、「オイディプス王」の伝説にも登場しています。
デルフィの遺跡は、世界遺産登録基準の1,2,3,4,6、を満たしているとして文化遺産リストに登録されました:
基準1:人類の創造的才能を表現する傑作。
基準2:ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
基準3:現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
基準4:人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
基準6:顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
アポロン神殿には、「大地のヘソ(オンファロス)」とされた石があります。ここで神託がおこなわれていたのです。古代ギリシャにおいて世界の中心であったここデルフィは、世界のヘソ「中心」としてあったのです。
ギリシャの世界遺産
デルフィは古代ギリシャの都市国家、ポリスでした。古代ギリシャにおいてデルポイは世界のへそ(中心)と信じられ、ギリシャ最古の神託所であるポイボス・アポロンの神殿の神託で有名でした。このデルポイの信託はギリシャ神話にも登場しており、人々の運命を左右する役割を担っているのです。デルポイの巫女によって告げられる託宣は、謎めいた詩の形で伝えられ、これが神意として古代ギリシャの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも大きく影響を与えたといわれています。
現在ここはデルフィの遺跡として、1987年 ユネスコの世界遺産「文化遺産」に登録されています。 デルフィの遺跡は、アポロン神殿を中心とする神域と、都市遺跡からなります。パルナッソス連山の懐に抱かれ、遠くにはコリンティアス湾を望むこの地では、かつてアポロンの神託、神のお告げが行われました。全盛期は紀元前6世紀頃で、デルフィの神託は、ギリシャ神話にも登場します。また、「オイディプス王」の伝説にも登場しています。
デルフィの遺跡は、世界遺産登録基準の1,2,3,4,6、を満たしているとして文化遺産リストに登録されました:
基準1:人類の創造的才能を表現する傑作。
基準2:ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
基準3:現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
基準4:人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
基準6:顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
アポロン神殿には、「大地のヘソ(オンファロス)」とされた石があります。ここで神託がおこなわれていたのです。古代ギリシャにおいて世界の中心であったここデルフィは、世界のヘソ「中心」としてあったのです。
ギリシャの世界遺産
チュニジアの世界遺産
チュニジアンブルーといわれる、青と白のアーチで知られるアフリカ大陸の最北端の国、チュニジア。日本の面積の3分の2ほどのとても歴史の古い国です。シシリー島のちょうど真向かい、まるでイタリアの靴の先でちょんっとつつかれてしまいそうな所に位置する、地中海に面した国で、西はアルジェリア、東はリビアと国境を接します。首都はチェニスです。
建物の多くは壁が白、窓とドアは青色で、いたるところに組み込まれたアーチがリゾート気分を誘います。ここは地中海屈指のバカンスの地。青い地中海を臨む一方で、南部はサハラ砂漠の出発地となります。
北アフリカの先住民族、ベルベル人が紀元前に王朝を打ちたて、その後、フェニキア人がカルタゴを建国しました。しかし、ローマ帝国との戦いのあと、ローマの属領となったかと思うと、7世紀にはイスラム帝国のアラブ人、更にはオスマントルコも入り、さらにはレコンキスタによってスペインから逃れた難民までも入って、フランスの植民地となり、1956年に独立し共和国となったのです。
長い歴史のなかで、アラブ系、ラテン系、白人、黒人・・・さまざまな人種が混在し、溶け合い、チュニジア独自のモザイク文化を生み出しています。 チュニジアには、その歴史を物語る遺産が数多く存在し、ユネスコの世界遺産には8件(文化遺産7件、自然遺産1件)が登録されています:
自然遺産 ●イシュケル国立公園
文化遺産 ●チュニスのメディナ ●カルタゴ遺跡 ●エル・ジェムの円形闘技場 ●ケルクアンの古代カルタゴ遺跡とその墓地遺跡 ●スースのメディナ ●カイルアン ●ドゥッガ
かつてローマ帝国の穀倉地といわれたほどの豊かな農産物と地中海の新鮮な海の幸が人びとの舌を魅了します。トマトとオリーブオイルたっぷりの料理は、とってもヘルシー。どこか懐かしい、と日本でも人気急上昇です。
まだまだ遠い国という印象が強いチュニジア。日本からは残念ながら直行便は出ていませんが、世界遺産ブームのなか日本からの観光客も急増している国のひとつです。ユネスコの世界遺産活動は、これまであまり縁がなかったアフリカの小国と日本を着実に近づけたといえるのかもしれません。これもまた、世界遺産効果、なのかもしれませんね。
チュニジアの世界遺産
建物の多くは壁が白、窓とドアは青色で、いたるところに組み込まれたアーチがリゾート気分を誘います。ここは地中海屈指のバカンスの地。青い地中海を臨む一方で、南部はサハラ砂漠の出発地となります。
北アフリカの先住民族、ベルベル人が紀元前に王朝を打ちたて、その後、フェニキア人がカルタゴを建国しました。しかし、ローマ帝国との戦いのあと、ローマの属領となったかと思うと、7世紀にはイスラム帝国のアラブ人、更にはオスマントルコも入り、さらにはレコンキスタによってスペインから逃れた難民までも入って、フランスの植民地となり、1956年に独立し共和国となったのです。
長い歴史のなかで、アラブ系、ラテン系、白人、黒人・・・さまざまな人種が混在し、溶け合い、チュニジア独自のモザイク文化を生み出しています。 チュニジアには、その歴史を物語る遺産が数多く存在し、ユネスコの世界遺産には8件(文化遺産7件、自然遺産1件)が登録されています:
自然遺産 ●イシュケル国立公園
文化遺産 ●チュニスのメディナ ●カルタゴ遺跡 ●エル・ジェムの円形闘技場 ●ケルクアンの古代カルタゴ遺跡とその墓地遺跡 ●スースのメディナ ●カイルアン ●ドゥッガ
かつてローマ帝国の穀倉地といわれたほどの豊かな農産物と地中海の新鮮な海の幸が人びとの舌を魅了します。トマトとオリーブオイルたっぷりの料理は、とってもヘルシー。どこか懐かしい、と日本でも人気急上昇です。
まだまだ遠い国という印象が強いチュニジア。日本からは残念ながら直行便は出ていませんが、世界遺産ブームのなか日本からの観光客も急増している国のひとつです。ユネスコの世界遺産活動は、これまであまり縁がなかったアフリカの小国と日本を着実に近づけたといえるのかもしれません。これもまた、世界遺産効果、なのかもしれませんね。
チュニジアの世界遺産
マルタ・キプロスの世界遺産
長靴の形をしたイタリア半島、そのイタリア半島がコツンッとシチリア半島を蹴ったとしましょう。そのときコロンと弾かれたしまった小さな小石が3つ、まさにそんな感じのちっちゃな島3島から成るのが、マルタ共和国です。マルタ島、ゴゾ島、そしてその間に挟まれた更にちっちゃなコミノ島からなるミニ国家の一つです。地中海性気候のため、夏は暑く乾燥しますが、冬は温暖で雨の多い気候です。
地中海にコロンと浮かぶ、この島国は、カルタゴ、共和政ローマ時代に地中海貿易で栄え、その後イスラム帝国の支配下に入ったこともありました。そしてそれに抵抗して戦ったのが、この土地の名前の由来ともなった、マルタ騎士団です。また、戦後40年間続いた冷戦の幕引きを世界にアピール、欧州新秩序づくりへ向けての一致協力をうたった、あのマルタ会談の舞台としても有名ですよね。
この小さな国家には3つの世界遺産があります:
●ハル・サフリエニ地下墳墓(80 文化遺産) ●ヴァレッタ市街(80 文化遺産) ●マルタの巨石神殿群(80、 文化遺産)
言語はマルタ語と英語が公用語となっているため、日本からは英語留学に訪れる人も多くいるようです。マルタ共和国を訪れた人の誰もが感動するのが、ブルーグロット。青の洞窟と呼ばれています。洞門内に差し込む光が水面を輝かせ、ノスタルジックな雰囲気をかもし出します。洞門内へは小型のボートで入ることもできます。 2004年には欧州連合にも加盟し、2008年からは統一通貨ユーロが導入される予定です。ちっちゃな国の大きな国際デビューです。地中海の楽園を訪れたら、かつての繁栄をしのばせる豪華な宮殿と共にその自然を満喫したいものです。
マルタ・キプロスの世界遺産
地中海にコロンと浮かぶ、この島国は、カルタゴ、共和政ローマ時代に地中海貿易で栄え、その後イスラム帝国の支配下に入ったこともありました。そしてそれに抵抗して戦ったのが、この土地の名前の由来ともなった、マルタ騎士団です。また、戦後40年間続いた冷戦の幕引きを世界にアピール、欧州新秩序づくりへ向けての一致協力をうたった、あのマルタ会談の舞台としても有名ですよね。
この小さな国家には3つの世界遺産があります:
●ハル・サフリエニ地下墳墓(80 文化遺産) ●ヴァレッタ市街(80 文化遺産) ●マルタの巨石神殿群(80、 文化遺産)
言語はマルタ語と英語が公用語となっているため、日本からは英語留学に訪れる人も多くいるようです。マルタ共和国を訪れた人の誰もが感動するのが、ブルーグロット。青の洞窟と呼ばれています。洞門内に差し込む光が水面を輝かせ、ノスタルジックな雰囲気をかもし出します。洞門内へは小型のボートで入ることもできます。 2004年には欧州連合にも加盟し、2008年からは統一通貨ユーロが導入される予定です。ちっちゃな国の大きな国際デビューです。地中海の楽園を訪れたら、かつての繁栄をしのばせる豪華な宮殿と共にその自然を満喫したいものです。
マルタ・キプロスの世界遺産
日本の世界遺産候補1
鎌倉幕府から150年もの間、鎌倉は政治の中心であったばかりか、武家文化の中心としても栄えてきました。今もその面影を残す武家の町並みは、多くの観光客を集めており、また古都保存法により乱開発が規制されているため、その歴史を垣間見ることが出来ます。そして、鎌倉の大仏、鶴岡八幡宮、建長寺・・・など、鎌倉の社寺と建造物は、1992年、ユネスコの世界遺産の文化遺産候補として暫定リストに登録されました。 現在、鎌倉市は登録に向けた調査やPR活動を展開し、2008年度以降の登録を目指して運動を継続しています。
具体的な申請対象は、以下のものです(予定):
●宗教建築・遺構・建長寺・円覚寺・鶴岡八幡宮・法華堂跡・荏柄天神社・覚園寺(かくおんじ)・瑞泉寺・永福寺(ようふくじ)跡・東勝寺跡・鎌倉大仏殿跡
●道路や屋敷跡等の遺構・若宮大路・名越切通・朝夷奈(あさいな)切通・巨福呂(こぶくろ)坂・亀ヶ谷(かめがやつ)坂・仮粧(けわい)坂・大仏切通、極楽寺坂・北条氏常盤亭跡・和賀江嶋(わがえのしま)
鎌倉は、古来からの都、平城京や平安京と大きく異なり、日本で初めての武家の都市です。北、東、西を山に囲まれ、南側は海に面した鎌倉は、天然の要塞で、東・北・西のいずれから鎌倉に入るとしても「鎌倉七口」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路(切通し)を通らねばならず、防御のしやすい土地柄であったため、城壁などの構造物はなくとも要塞都市として機能を果たす日本で唯一の都市です。これはユネスコの文化遺産基準の3,4に該当すると考えられます。
また、鎌倉では、「やと」あるいは「やつ」と呼ばれる小さな谷が開発され、他に類を見ない独創的な特徴の都市を作り出しています。谷底には「平場」が造成され、そこには大小の寺院が建立されました。また、切り立ったがけの「切岸」には、横穴が掘られ、「やぐら」と呼ばれる独自の墓所もしくは聖所が作られたのです。これらの町並みの特徴は、文化遺産基準の5に該当すると考えられています。
日本の世界遺産候補
具体的な申請対象は、以下のものです(予定):
●宗教建築・遺構・建長寺・円覚寺・鶴岡八幡宮・法華堂跡・荏柄天神社・覚園寺(かくおんじ)・瑞泉寺・永福寺(ようふくじ)跡・東勝寺跡・鎌倉大仏殿跡
●道路や屋敷跡等の遺構・若宮大路・名越切通・朝夷奈(あさいな)切通・巨福呂(こぶくろ)坂・亀ヶ谷(かめがやつ)坂・仮粧(けわい)坂・大仏切通、極楽寺坂・北条氏常盤亭跡・和賀江嶋(わがえのしま)
鎌倉は、古来からの都、平城京や平安京と大きく異なり、日本で初めての武家の都市です。北、東、西を山に囲まれ、南側は海に面した鎌倉は、天然の要塞で、東・北・西のいずれから鎌倉に入るとしても「鎌倉七口」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路(切通し)を通らねばならず、防御のしやすい土地柄であったため、城壁などの構造物はなくとも要塞都市として機能を果たす日本で唯一の都市です。これはユネスコの文化遺産基準の3,4に該当すると考えられます。
また、鎌倉では、「やと」あるいは「やつ」と呼ばれる小さな谷が開発され、他に類を見ない独創的な特徴の都市を作り出しています。谷底には「平場」が造成され、そこには大小の寺院が建立されました。また、切り立ったがけの「切岸」には、横穴が掘られ、「やぐら」と呼ばれる独自の墓所もしくは聖所が作られたのです。これらの町並みの特徴は、文化遺産基準の5に該当すると考えられています。
日本の世界遺産候補
日本の世界遺産候補2
岩手県平泉は、平安時代末期、奥州藤原氏四代が約100年にわたって文化を築いてきた地です。都の文化を受容しながら、仏教寺院・浄土庭園など、独自の文化を発達させました。平泉の文化遺産は、平成13年に「暫定リスト」に登録されました。岩手県では、平成20年の世界遺産登録を目指してさまざまな運動に取り組んでいます。
藤原氏の文化としてまず思い浮かべるのは、中尊寺でしょう。天台宗特有の一山寺院です。 850年に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられます。その後、奥州藤原氏の初代清衡が本拠地を平泉に移し、造営したのです。大長寿院は、高さ15メートルという大きな建物で、中には、高さ9メートルの阿弥陀如像が本尊として祀られています。平泉を侵攻した源頼朝が、大長寿院をみて驚き、鎌倉に永福寺を建てたといわれています。清衡は数々の大伽藍を建立し、1124年に金色堂を完成させました。金色堂は国宝となっています。他に類を見ない、平泉文化独自のものです。
中尊寺と同様、平泉文化を代表するのが、毛越寺です。中尊寺と同じ、慈覚大師円仁に開山されたと伝えられています。当時は、お堂や塔が40以上、僧侶の生活する建物が500以上、という大きなものでしたが、火災により当時の建物は残っていません。大泉が池は、海岸の美しさを表したもので、現在のものは発掘調査によって復元整備されました。これは平安時代の庭園造りの秘伝書『作庭記』に忠実に作られたものです。遣水が緩やかに蛇行し、この世の極楽浄土のようです。特別名勝の指定を受けています。
その他、倉町遺跡、金鶏山、柳之御所遺跡など、平泉の文化遺産は奥深い魅力を誇っています。すでに世界遺産に登録された京都や奈良に続き、奥州の独自の文化として是非、世界遺産への登録が実現することを願います。
日本の世界遺産候補
藤原氏の文化としてまず思い浮かべるのは、中尊寺でしょう。天台宗特有の一山寺院です。 850年に慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられます。その後、奥州藤原氏の初代清衡が本拠地を平泉に移し、造営したのです。大長寿院は、高さ15メートルという大きな建物で、中には、高さ9メートルの阿弥陀如像が本尊として祀られています。平泉を侵攻した源頼朝が、大長寿院をみて驚き、鎌倉に永福寺を建てたといわれています。清衡は数々の大伽藍を建立し、1124年に金色堂を完成させました。金色堂は国宝となっています。他に類を見ない、平泉文化独自のものです。
中尊寺と同様、平泉文化を代表するのが、毛越寺です。中尊寺と同じ、慈覚大師円仁に開山されたと伝えられています。当時は、お堂や塔が40以上、僧侶の生活する建物が500以上、という大きなものでしたが、火災により当時の建物は残っていません。大泉が池は、海岸の美しさを表したもので、現在のものは発掘調査によって復元整備されました。これは平安時代の庭園造りの秘伝書『作庭記』に忠実に作られたものです。遣水が緩やかに蛇行し、この世の極楽浄土のようです。特別名勝の指定を受けています。
その他、倉町遺跡、金鶏山、柳之御所遺跡など、平泉の文化遺産は奥深い魅力を誇っています。すでに世界遺産に登録された京都や奈良に続き、奥州の独自の文化として是非、世界遺産への登録が実現することを願います。
日本の世界遺産候補