鎌倉幕府から150年もの間、鎌倉は政治の中心であったばかりか、武家文化の中心としても栄えてきました。今もその面影を残す武家の町並みは、多くの観光客を集めており、また古都保存法により乱開発が規制されているため、その歴史を垣間見ることが出来ます。そして、鎌倉の大仏、鶴岡八幡宮、建長寺・・・など、鎌倉の社寺と建造物は、1992年、ユネスコの世界遺産の文化遺産候補として暫定リストに登録されました。 現在、鎌倉市は登録に向けた調査やPR活動を展開し、2008年度以降の登録を目指して運動を継続しています。
具体的な申請対象は、以下のものです(予定):
●宗教建築・遺構・建長寺・円覚寺・鶴岡八幡宮・法華堂跡・荏柄天神社・覚園寺(かくおんじ)・瑞泉寺・永福寺(ようふくじ)跡・東勝寺跡・鎌倉大仏殿跡
●道路や屋敷跡等の遺構・若宮大路・名越切通・朝夷奈(あさいな)切通・巨福呂(こぶくろ)坂・亀ヶ谷(かめがやつ)坂・仮粧(けわい)坂・大仏切通、極楽寺坂・北条氏常盤亭跡・和賀江嶋(わがえのしま)
鎌倉は、古来からの都、平城京や平安京と大きく異なり、日本で初めての武家の都市です。北、東、西を山に囲まれ、南側は海に面した鎌倉は、天然の要塞で、東・北・西のいずれから鎌倉に入るとしても「鎌倉七口」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路(切通し)を通らねばならず、防御のしやすい土地柄であったため、城壁などの構造物はなくとも要塞都市として機能を果たす日本で唯一の都市です。これはユネスコの文化遺産基準の3,4に該当すると考えられます。
また、鎌倉では、「やと」あるいは「やつ」と呼ばれる小さな谷が開発され、他に類を見ない独創的な特徴の都市を作り出しています。谷底には「平場」が造成され、そこには大小の寺院が建立されました。また、切り立ったがけの「切岸」には、横穴が掘られ、「やぐら」と呼ばれる独自の墓所もしくは聖所が作られたのです。これらの町並みの特徴は、文化遺産基準の5に該当すると考えられています。
日本の世界遺産候補